広告キャッチフレーズとネーミングのオノマトペ化
「ココロはコロコロ変わらない」サントリー・ウイスキーのキャッチフレーズです。
ここのところ、広告の世界にオノマトペが目立ってきました。キャッチフレーズにちらちら増えてきました。なんだか片仮名が、新聞広告やポスターで目に付くようになった。テレビCMからも擬音語や擬態語が、耳につくようになってきました。
「さらりとした梅酒」は、チョーヤの梅酒。「キラリ夏AYU」は、コーセー化粧品。「お風呂できゅきゅきゅ東京新聞」は、かなり昔からおなじみ。まあ、広告オノマトペの先輩格と言ったところでしょうか。
広告は、いかに魅力的に商品の特徴を伝えるか、を日々勝負している世界です。一度見たら耳から離れない。そんな言葉を求め続けている世界です。商品の多様化が進む時代の中で、当然広告も多様な表現に姿を変えてゆく。いきおい、レトリックの手練手管が磨かれ、言葉の洗練が尽くされてきました。そんな状況の中で、なぜオノマトペなのでしょうか。一見、言葉の幼児返りとでも言える現象が、今たしかに氾濫のの兆しを見せています。
「カラカラの友だちに。」カルピスウォーターのキャッチコピーです。
「変われるって、ドキドキ。」こちらはトヨタ・カローラです。
昔、広告のジャンルの広さを言うのに「口紅から戦車まで」といった人がいますが、まさにオノマトペは今や「カルピスからクルマまで」というわけです。
好況の時代、バブルの時代には、理屈や説得の広告で商品が売れました。今度の商品は、今までとここが違う。ここがすばらしい。生活をこう変えてしまう。人生観も変わりますよ。といった、いわば論理的な広告が説得力をもって機能したのでした。しかし、いったんバブルがはじけて不況の底を舐めるようなマーケティングの時代になってみると、正当な説得や甘い夢を語る言葉は、すっかり無力になってしまった。
感性。本能的な感覚。そんなものが突然、力を持ってきた。理屈ではない、実感。説得ではなく共感。そんな言葉が広告の主役を演じ始めたのです。でなくて、
「ヒューヒュー。桃の天然水」
などというキャッチフレーズが大手を振って罷り通るといった現象の、説明がつきません。そう、ナンセンス。意味が力を失って、フィーリングが主役に躍り出た。その現れがオノマトペなのではないか。
「シャッキッとコーン」ハゴロモ缶詰。ときたかと思えば、ついに、
「シャキィィィィィン」超オノマトペの出現。サッポロ冷製辛口という名の発泡酒です。今もっとも激しい激戦を繰り広げている発泡酒というジャンルであることが、この超オノマトペの出現を促したのだと思います。
とまれ、キャッチフレーズのオノマトペは、音感、食感、飲感、触覚、視覚、何だっていい。そうだよなあ、と共感できる音(おん)をぶつけることで、消費者の胸を強引に開いてしまおうということなのでしょう。
さて、広告におけるオノマトペは、キャッチフレーズだけに止まりません。ネーミングにも浸透を始めています。
「きりり」キリンの清涼飲料のネーミング。
「カリリ」はグリコのスナックの名前。
「ぱっくりりん」は、甘栗菓子。
「Qoo」こちらはコカコーラの新飲料水。
キャッチフレーズにオノマトペを活用するくらいなら、いっそネーミングにしてしまえ、というわけです。キャッチが消費者を導いて商品の所につれてくるという、まだるっこしい手続きを排除して、一気にネーミングだけに単純化してしまおう、ということです。つまり、例えばさっきの、
「シャキィィィィィン」→「冷製辛口」という手続きを排除して「シャキィィィィィン」を商品名にしてしまえば?という短絡的アイデア。
不況が商品企画を加速させ、次々と新商品を打ち出してゆく。市場に膨大に氾濫している商品の中で、その全てにキャッチフレーズとネーミングを作ると、例えば100の商品に100のキャッチ、つまり言葉の情報は200と倍化してしまう。消費者は混乱して、目的の商品に到達しにくくなってきます。
めざせ!情報の単元化。言葉の単純化。
キャッチとネーミングの氾濫による煩雑さの解決手段が、オノマトペ・キャッチのネーミング化だったのではないでしょうか。

(言語・8月号)